7月4日(水)入間川小学校脇を流れる入間川で川の学習が行われました。
昔の人は水田に水をひいて田んぼでお米を作ったり魚を獲ったりして入間川から受けるめぐみで生活をしていたり洪水で家を流されたりして入間川とともに生活をしていました。とさや環の皆川さんや伊藤さんから色々なことを教わりました。
この後、入間川でカヌーに乗る楽しみを味わったり、実際に川に入って魚を獲ったりして色々なことを学びました。
7月4日(水)入間川小学校脇を流れる入間川で川の学習が行われました。
昔の人は水田に水をひいて田んぼでお米を作ったり魚を獲ったりして入間川から受けるめぐみで生活をしていたり洪水で家を流されたりして入間川とともに生活をしていました。とさや環の皆川さんや伊藤さんから色々なことを教わりました。
この後、入間川でカヌーに乗る楽しみを味わったり、実際に川に入って魚を獲ったりして色々なことを学びました。
6月27日(水)14:00~16:00 狭山台公民館の寿大学の環境講座において「あなたから始まるゴミ減量・資源化について」と題してゴミ問題をみんなで考える講座が開催され50人が学びました。
第1部は「狭山市のごみ行政 ごみの現状と課題」について狭山市資源循環推進課の橋本さんによる講義がありました。
狭山市のごみ焼却場には寿命があることやその寿命を延ばすことの意味が語られ燃やされるごみの中に多くが資源になることを学びました。また燃やすごみの半分は水分なので水分を蒸発させるエネルギーが必要になるので家庭では水分除去の重要性を学びました。
第2部は「おもったより減らないごみ!」としてさや環の中川さんと福島さんが実物を例にごみなのか資源なのかを説明しました。
参加者は今まで燃やすごみとして捨てていた包装紙やラップの芯、トイレットペーパーの芯まで資源になることを知り、歓声が上がりました。
7月2日(月)10:00~12:00 新狭山公民館で環境講座「家庭に潜む有害物質」が開催されひだまり学級の皆さん他53名の方々が受講されました。
はじめに小林副館長からこの環境講座の趣旨説明があり、講師でNPO法人さやま環境市民ネットワーク理事の土淵 昭さんの紹介がありました。
6月11日(月)~6月22日(金)まで狭山市役所1Fエントランス展示コーナーでパネル展示が行われました。
さや環からは活動の概要と各分科会による活動報告がありました。
5月19日(土)9:00~13:00上奥富運動公園で第53回リサイクルマーケット2018春が行われさや環は温暖化分科会から出展しさや環ブースには約100名が集い、省エネ活動をしてもらうようイベントを通じた活動をしました。
スタッフ9名、環境クイズに30名、エコハウスに20名が参加しました。
エコハウス作りから家庭の省エネを学ぶ
ミニソーラーカーで遊びの中にソーラーパワーを学ぶ
しゃぼん玉発生器の電源はソーラー発電
環境クイズを通じてエコを学ぶ
平成30年5月20日14:00~15:00狭山市中央公民館第1ホールで第11回NPO法人さやま環境市民ネットワーク総会が開催されました。
開会に先立ち総会成立要件が近藤事務局長から述べられ開会が宣言されました。
始めに代表理事の石田さんより開会挨拶が述べられました。またこの場で今埼玉県の桜が外来種のクビアカカミキリに害され新たな課題があることに警鐘が鳴らされました。
狭山市長の小谷野剛様から総会開催へのお祝いと同時に日頃からの環境保全事業に対しお礼の言葉をいただきました。
次いで石田代表理事が議長となることが承認され、毛塚副代表から平成29年度の事業活動報告が、また児玉理事から同会計報告がされ併せて中村監事、遠藤監事による監査結果が報告され適正な会計であったことが報告され一括承認されました。次いで平成30年度事業活動計画が毛塚副代表から、同会計予算計画が児玉理事から読み上げられ全会一致で承認されました。次いで役員人事と定款変更が承認されました。
この後、休憩が取られ第2部の講演「パリ協定のその後」が吉岡理事によって行われました。
この講演はパリ協定で産業革命以降の気温上昇を2℃以下に抑える決定事項に対し、各国や投資家、企業、団体がどのような対応をしているかを今年2月~3月にかけてNHKBSで放映された「脱炭素時代は来るのか」の映像を通して解説し、ビデオ放映したものです。
これによると世界中の名だたる投資家が地下資源依存型社会の今後に危機感を持ち、地下資源依存資産を座礁資産として位置付け投資資金を引き揚げはじめ、再生可能エネルギーに既に22兆円が投入されていること。またソーラー発電コストがすでにkwh当たり2.6円まで低下し、原発や石炭火力発電のコストを大きく下回り始めたことから着実に脱炭素社会化が進んでいる。
トランプによるパリ協定脱退の影響は殆どないほど世界のマネーは持続可能社会化は進んでいるとみるべきであること。
残念ながら日本はさや環の想いとは異なり世界の流れから大きく外れているようである。(吉岡記)