11月11日(日)曇り空ながら朝早くから多くの市民が広瀬河川敷運動公園に集まりました。
さやま環境市民ネットワークの石田代表からは朝の挨拶では明治期の偉人清水宗徳の話を、また市役所環境経済部の小川部長からは8回目を迎えた環境ウォークの意義について、そして水富地区連合自治会長の廣岡さんからは水富地区の素晴らしさをPRされ歓迎して頂きました。
開発の名のもと多くの歴史遺産や景観が失われましたがここ水富には美しい蔵や水路や石像が取り壊されずに残っており素晴らしい景観を保っています。是非この環境ウォークを楽しんで下さい。
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朝の集い |
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さあ出発です |
最初の訪問地は広瀬神社です。総代の斉藤さんからここでは延喜式内と記されていますが、年号が延喜(西暦905年)から延長5年(927年)までの時代に作られた神社の一覧表の中に既にあり、格の高い神社であること、また奈良の広瀬大社と地形が良く似ていることから名付けられたとされた話され、また樹齢800年の大ケヤキは推定年齢がもっと古いことや現在樹木医による集中治療が行われていることを話して頂きました。最後にムクロジの実(羽根つき用の玉)をお土産に頂きました。
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広瀬神社で総代さんの話を聞きました |
次の訪問地は万寿山禅龍寺で、ここも歴史が古く年号が万寿(1024~1028)の頃に創立したそうです。千手観世音菩薩が本尊だそうです。手は千本ありませんが1本の手が25本分の意味があるそうで42本あるから千本以上あるそうです。お寺の周りの壁は3本の壁線が入っていますが格の高さを表しているそうです。梵鐘は太平洋戦争の時に供出されてしまいましたが、その後再建されたものだそうです。
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禅龍寺の境内 |
次の訪問地は惺あん山信立寺です。このお寺はこの辺りでは珍しい日蓮宗です。参道入り口の石碑は安永5年(1776年)のものでひげ文字で南無妙法蓮華経と書かれています。
このお寺は鬼子母神(きしもじん または きしぼじん)があることです。コブシほどの小さな神様がお堂の中に祀ってあります。インドの神様で怖い女神ですがお釈迦様に諭され優しい女神様になったそうです。中に怖い時の角のある鬼子母神と優しくなった角のない鬼子母神がいます。ここの梵鐘も太平洋戦争の時に歴史的文化財(天正年間製作)でしたが供出されてしまいました。昭和になって作られたものです。
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信立寺の境内 |
次の訪問地は広瀬浅間神社と清水宗徳のお墓です。
ここは江戸時代に富士山に行かなくても登ったと同じ御利益があるとして富士講がはやったときに作られた山でこの付近には結構その後があります。高さが9mの富士山に登り清水宗徳の墓参りをしました。清水宗徳は西武鉄道の前身となる本川越から国分寺まで鉄道を敷いたためこの地が大変栄えました。また手工業だった絹製品を機械化して生産する会社を作ったりして明治期の狭山の経済を支え、今日の繁栄のベースを築きました。
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富士山頂上を目指して |
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清水宗徳の墓 線路が敷かれている |
次の訪問地はお茶畑から古谷園に向かいます。
お茶畑から見える日本電波工業では人工水晶を作っている会社です。狭山の特産品ですね。
お茶畑から狭山市内を一望できます。天気が良ければ富士山もきれいに見えますが今日は雲に隠れていました。皆を待って折り紙をたくさん用意して頂いたご家庭があり一同大喜びでした。
坂を下りると古谷園がありここではお茶を用意してくださいました。有難いです。
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晴天の時にお茶畑から見える富士山 |
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色とりどりの折紙を用意して頂きました |
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古谷園でお茶を接待して頂きました |
次の訪問地は根堀周辺の石積み護岸をもつ用水路や蔵のある水富でも見ごたえのある景観を巡ります。この付近の家は江戸時代後期のものが多く戦災被害を免れたために往時の風景がそのまま残されています。山崎家住宅には入間川の氾濫で入間川村と広瀬村の境界が分からなくなった時の江戸幕府による裁定の証文が残っています。
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蔵と用水路のある景観 |
次の訪問地は(高竹山)明光寺です。このお寺も古く応和2年(962年)明光上人の開祖によります。宗派は真言宗で本尊は地蔵菩薩坐像です。本堂には紙本地蔵十王図がありますが十王とは冥途で死者の罪を裁く王のことです。人が亡くなると初七日、二七日、三七日、五七日、四十九日と追善供養が行われますが、その都度十王の誰かにより裁かれるのだそうです。無事に極楽に行けるように供養するのだそうです。ちなみに閻魔大王は五七日の担当だそうです。昔の人はこのようにして悪いことをしないように戒められていたのでしょうね。
ここを最後に出発地に戻り、芋汁と完歩賞を頂きました。
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狭山市すこやか推進員会の皆さんによる芋汁の炊き出し |
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マイお椀持参で芋汁の昼食 |